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田中久文先生による「時代から西田哲学を読み直す-システム・技術・終末論」講演会を西田哲学館で聴講しました

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時代から西田哲学を読み直す-システム・技術・終末論時代から西田哲学を読み直す-システム・技術・終末論という哲学の講演会を聴講しました。会場はかほく市の西田哲学館で、聴講費用は無料でした。
梅雨入り前の蒸し蒸しとした夏日に涼しいホールで哲学を学ぶというのもなかなか贅沢です。おありがとうございます。

西田幾多郎哲学館

講演会聴講のために西田哲学館にきました

土曜日は西田哲学館でイベントが開催されることが多いです。今日も講演会がありました。

下の駐車場にクルマを駐めると「思索の道」を登って哲学館に向かうことができます。散歩にはちょうどいいですね。坂道を登るので短い距離ですがちょっとした不可もあります。蒸し暑い日でしたので少し汗ばみました。

受付を済ませて地下にあるホールに向かいました。

石川県西田幾多郎記念哲学館

石川県西田幾多郎記念哲学館
〒929-1126 石川県かほく市内日角井1

以下は、講演会を聴講した感想レポートです。

田中久文先生による「時代から西田哲学を読み直す-システム・技術・終末論」講演会

2024年6月8日、石川県西田幾多郎記念哲学館で、田中久文先生による講演会「時代から西田哲学を読み直す-システム・技術・終末論」が開催されました。本講演会では、主に西田幾多郎の哲学の変遷と、その背景となった日本の近代史について詳しく解説されました。

西田哲学の変化

田中先生は、西田哲学の変化について2つの大きな時代背景を挙げました。一つ目は1931年の満州事変から始まり、1932年には「無の自覚的限定」という概念が登場します。この時期、西田は物事を裏側から見る試みを始めました。

より大きな変化は1933年に起こり、「弁証法的一般者」や「社会的歴史的社会」といった新しい哲学的概念が登場します。西田は自己から世界を見る立場から、世界から自己を見る立場へと視点を転換しました。

1937年の日中戦争の開始も、西田哲学に影響を与えました。この時期、西田幾多郎は「歴史的種」という概念を取り入れ、民族や国家の登場について論じています。

システム論としての西田哲学

田中先生は、西田哲学の一つの側面としてシステム論を挙げました。

「一即多と多即一」という概念は、システム社会への対応としても読み取ることができると指摘しました。

西田は「心境だけではなく、論理的でシステマティックな考えが必要」と強調しており、総力戦体制とシステム社会の成立が密接に関係していると述べました。

技術論とその社会的影響

田中先生はまた、西田の技術論についても詳しく説明しました。西田の技術論には、以下の三つの特徴があります。

  1. 技術の創造性: 新しい現実を生み出す力。
  2. 技術の他者性: 発明者の意図に反する意味を持つこと。
  3. 技術の未知性: 未知の可能性を秘めた危機。

技術の進化がもたらす危機として、資本主義の危機、戦争の危機、人間そのものの危機が挙げられました。

特に、自由を追求する中で生じる矛盾と、技術が持つ危機の面について強調されました。

終末論と現在の意識

田中先生は、西田の終末論についても言及しました。

終末論とは、未来の予想される事件ではなく、現在の瞬間における意識の持ち方であると説明しました。日常的に世界の終末を意識することが重要であり、人間の本質が「終末論的」であると認識することが求められます。

現代における西田哲学の意義

最後に、田中先生は現代から西田哲学を考える意義について述べました。

資本主義の危機、戦争の危機、技術の暴走など、現代の課題を西田哲学の視点から再評価することが求められています。特に、戦前の自前の思想と戦後の価値観をどう捉え、克服していくかが重要であると述べました。

当日の講演会メモから生成しました

さて。

実は上記のブログ記事はChatGPTで作成しました。内容は、当時の講演会の内容をスマホでメモしたテキストとセミナー告知のフライヤー画像を読み込んで一発で生成した内容です。生成AIって本当にすごいですね。

いちおうそのメモをここに残しておきます。

西田哲学を読み直す システム・技術・終末論
田中久文(たなかきゅうぶん)

時代から2つの意味
・西田哲学はなぜ変化した
・日本の近代(1930年代)とは

西田哲学はなぜ変化した?
最初の変化
1931年(昭和6年)満州事変
1932年 無の自覚的限定、表からその裏を見る→裏から表をみようと努めた
より大きな変化
1933年 哲学の根本問題、弁証法的一般者、社会的歴史的社会、一即多と多即一、紹介者M
自己から世界をみる立場→世界から自己をみる立場
個物の⚪︎と無数の⚪︎、相互関係は自己否定と相互否定
華厳(けごん)という仏教の世界にも関係あり?
1937年 日中戦争開始
歴史的種(民族・国家)の登場
Mx Ba Bc Bb
1930年代は世界恐慌で環境激変→ブロック経済化→総力戦体制
新しい見方(伊藤隆、野口悠紀雄のさらば戦時経済、山之内靖の総力戦とシステム統合、雨宮昭一)
システム社会の成立により強制的均質化が進む
協同体的衆民政は日本的な民主化
総力戦体制と戦後社会との連続性

システム論としての西田哲学
一即多と多即一はシステム社会への対応として読み取ることができる
「ともかく今日は心境だけではゆかない。それひた論理的なシステマティックな考えができてこなければならんと思う。」
総力戦とは法界論理が歴史的現実の論理に、ピッタリわかってくる

西田幾多郎は戦争を肯定的に捉えていたわけではない
1944年 国家と国体という論文で「それぞれに歴史的形成の使命を担うものである。各自独立なるものが一つとして結合するところに創造がある。」
・共栄圏について積極的に語らない
・特定の国や特定の共有圏を特別視しない
・世界全体から個人を見たように、世界全体から個々の「社会的種」を見る立場

西田幾多郎のシステム社会論の源泉
・西洋哲学 ヘーゲル、ライプニッツ、数学の「群論」
・仏教的世界観 華厳教学の「一即多と多即一」
・生物学 社会的種は生物的種から発想 ホルデーン能動的維持、ホメオスタシス論キャノンが影響

独自の「技術」論
前提としてのマルクス主義者の技術論論争
敗戦を挟んで行われた論争
技術とは
労働手段の体系→労働手段的体系説
技能や知能といった主観的契機→意識的適用説
しかしここには創造的価値的側面が欠落
技術の社会性、政治性
技術とは人間と自然と主体と環境とを結合

西田幾多郎の技術論の三大特徴
・技術の創造性→新しい現実を生み出す
・技術の他者性→発明者の意図に反する意味
・技術の未知性→移行する可能性を秘めた危機
技術の抱える慢性的危機
作られたものから作るものへの世界はいつも自己自身を越えている、歴史的現在はいつも動揺的である(哲学的文集第3)

技術のもたらす危機の主な内容
・資本主義の危機
・戦争の危機
・人間そのものの危機
→自由なきところに人間はない
→自由になろうとするほど鉄壁に打ち当たる
→人間が真に人間であろうほど危機の上に立つ

終末論
終末とは現在である。各時間における瞬間でなければならぬ。
この世界の行路の最後に予想される事件ではない。
世界の終末を日常的に意識すること。終末論が黙示文学的な水平次元から永遠の時間の質的差異という垂直的次元に。
人間の本質が「終末論」的という認識
平常底的立場において何時も終末論的

ただし西田幾多郎は技術一辺倒ではない
「歴史的自然」という概念
自然が歴史的社会的であり、歴史的社会が自然的でなければならない
自然法いということは創造的でなければならない。我々の自己が創造的世界の創造的要素として絶対現在の自己限定として働くということでなければならない。(場所的論理と宗教的世界観)

現代から西田哲学を考える
・資本主義の危機
・戦争の危機
・技術の暴走
総力戦体制の新しい見方
・総力戦体制をシステム社会の成立と捉える
・総力戦体制と戦後社会との連続性
戦前の自前の思想と戦後のGHQ的価値観をどうとらえ克服していくかという課題
・価値観外交は正しいのか?

1945年(終戦)西田のメッセージ
我国の政策の観念的独善的にて現今の如き難局に陥ったのもひとえに我国民及び政治家に深い思想がなかったからと存じます。
今こそ真に深く学問に心を潜む時ではないでしょうか。

西田哲学館からの眺望

今日は気温が30度近くまで上がり蒸し暑い夏日となりました。西田哲学館はかほく市の高台にあるためかほく市内を一望できるくらい眺望がよいです。

眼下には「イオンかほく」の大きな建物が見えます。

本日はいい学びができました。ありがとうございます。