ソーシャルメディア(SNS)

遠田姓の掲示板を約10年運用しているが今でも新たな出会いや交流が起きている

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遠田姓の掲示板ツイッターやフェイスブックなど現代では便利なソーシャルメディアが多数あるが、2000年以前にはメジャーなソーシャルメディアはなかった。パソコン通信からmixiへと人が流れつつあった頃だったような気がする。そのころは掲示板がネットでの交流の媒体として活躍していた。今ではあまり見かけなくなってしまった掲示板だが、今でも生き続けている掲示板もある。約10年前立ち上げた掲示板のひとつに「遠田姓のヒミツ?全国の遠田さん全員集合!」というWEBサイト内に掲示板がある。これは遠田幹雄が遠田姓の方々との交流のために立ち上げた掲示板で、細々ながらも今でも良質なコミュニティになっていることを実感した。

例えば遠田姓についてこんな貴重な情報を寄せてくれた人もいる。

北海道のとおだです。(中略)

明治中頃に山形県の東田川郡より入植してきたとのことです。山形の本家の近所は遠田だらけですが、そちらでは、えんた?と名乗っているようです。家紋は丸に三つ柏、寺の宗派は曹洞宗です。遠田郡の遠田氏(止保太とありとおたと呼ばれていたと思われる)は蝦夷と言われ人々でした。蝦夷の中でも当時の大和朝廷に逆らっていたものと田夷と呼ばれる農耕を営み朝廷に服従しているものがありました。遠田氏は田夷で『続日本紀』に初出の遠田雄人は朝廷に、自分たちは服従しており他の蝦夷とは違いますので臣民として認めて下さい。と願いでたところ朝廷より、遠田臣の【臣】姓を賜り、遠田郡大領(郡長)外従五位下上勲八等の位を頂いたと、『続日本紀』にエピソードが記載されています。

その後、おそらく子供?と思われる押人などが続きますが記録には見えなくなります。追い出されたのか、引っ越し?したのかわかりませんが、宮城県から移り遠田姓の多い山形県を中心とした日本海側に一族が散らばったのではないかと私は勝手に思っています。

あと遠田氏について調べましたが、①金沢前田家の家臣の遠田。②福島県耶麻郡の遠田。③徳川家茂の侍医脚気治療で有名だった遠田澄庵。④石見の後の毛利氏の家老となった益田氏の一族の遠田。⑤九州のどちらかわすれましたが、遠田城城主の遠田。が出てきました。

最近、遠田関係のものを蒐集しています。最近古い絵葉書を手に入れました。山形県東田川郡余目町の酒造会社、清酒玉川の遠田邸宅という白黒の写真でした。ご関係の方はいらっしゃいますか?あと大正時代に発行された遠田郡誌という郷土史の本です。また私の本家のある山形県東田川郡余目町の余目町誌です。何か分かりましたらまた書き込みます。

この書き込みが元になり、上記のご縁のあった方々がつい最近つながったようだ。遠田性に関わる誰かのお役に立てたとしたら、この掲示板も使命を果たせたことになる。感謝である。

この遠田姓掲示板は「http://www.tohda.jp/myouji/index.htm」から見ることができる。